大工棟梁・建築家 立石清重 松本編
2021.07.22
物語を紡ぐ

大工棟梁・建築家 立石清重 松本編

今回の舞台は松本。擬洋風建築が伝えるまちの記憶とはー?

まちあるき

立石清重って、何者?

幕末から明治にかけて大工棟梁として名を馳せた立石清重。擬洋風建築の優れた建築家としても活躍した彼の代表作、旧開智学校校舎は2019年に国宝に指定され、その功績が改めてクローズアップされました。2021年6月より始まった耐震補強の工事前に現在の姿と触れ合い、松本のまちなかに点在する明治から昭和初期の近代建築遺産を探訪。まちの魅力を探ってみました。

旧開智学校校舎1
旧開智学校校舎2
旧開智学校校舎3
旧開智学校校舎4
旧開智学校校舎5
旧開智学校校舎6

01旧開智学校校舎

明治9年(1876)に長野県松本市内に建てられその後、移築された明治時代初期の小学校校舎です。
開智学校を設計・施工した立石清重は松本で代々大工を務めていた家の次男として誕生。跡を継いで大工となり江戸時代から棟梁として活躍していました。
明治時代になると独学で学んだ擬洋風建築を採り入れた建物をつくりました。その代表的な建物が開智学校です。幕末から明治のおおよそ20年、学校やホテルなど擬洋風建築を採り入れた建物が全国でこぞってつくられました。(旧第一国立銀行など)

そんな文明開花の波のもと建てられた開智学校は立石清重の西洋への強い思いを感じ取れます。
例えば、建物正面のポーチやバルコニー、大きく縦に長い窓はコロニアル建築を模し、屋根は瓦、壁は漆喰、唐破風(からはふ)や龍の彫刻などの装飾は和風建築です。
扉の木目は1つ1つ描かれたもの、外壁の装飾もタイルを模して漆喰でタイル風に仕上げられており、細部に至るまで日本の建築様式で洋風の再現にこだわっています。
伝統的な技術を用い、新しい西洋のデザインと和風のデザインを独創的に組み合わせたものが擬洋風建築です。

あれ、なぁに?文明開花の勢いが詰め込まれた建築 天使と龍のコラボレーション!

開智学校の入り口には天使と龍のデザインされた彫刻があります。こんなユニークなコラボレーションも擬洋風建築の楽しいところ。天使は当時「東京日日新聞」で描かれていた天使のロゴデザインを参考にしたのではないかとのことです。また、龍の彫刻は神社の社殿などに見られるもの。西洋の天使と日本の龍がお出迎えしてくれるポーチは文明開花の勢いを感じ、見る者を楽しませてくれますね。

天使と龍のデザインされた彫刻

旧松岡医院(かわかみ建築設計室)1
旧松岡医院(かわかみ建築設計室)2
旧松岡医院(かわかみ建築設計室)3
旧松岡医院(かわかみ建築設計室)4

02旧松岡医院(かわかみ建築設計室)

建物は大正13年(1924)に立石清重の弟子に当たる佐野貞治郎によって建てられた病院建築です。石造り風の外観ですが、木造2階建てというから驚き。
内部は昔の医院の佇まいがほぼそのまま残されています。まちなかにも近代建築が息づいていることに改めて気付かされます。
(2021年 国の登録有形文化財に登録されました。)

あれ、なぁに?近代建築が息づくまち 「お医者さま通り」

松本のまちなかを歩くと洋風の近代建築の建物がまだまだ現存しています。松本城東側のお堀端の通りは医院が多く、通称「お医者さま通り」と呼ばれていました。この通り沿いには近代建築として文化的価値のある建物がいくつも現存しています。

天使と龍のデザインされた彫刻

旧三松屋蔵座敷(はかり資料館)1
旧三松屋蔵座敷(はかり資料館)2
旧三松屋蔵座敷(はかり資料館)3
旧三松屋蔵座敷(はかり資料館)4

03旧三松屋蔵座敷(はかり資料館)

立石清重の最晩年の作となる旧三松屋蔵座敷。
公共建築へ傾倒した一時期から晩年は町家建築に立ち返り、そのなかで開智学校などを手掛け蓄積した技術や知識を民家のレベルでもいかんなく発揮していきました。そんな時代を反映した優れた建築文化の結晶のひとつが旧三松屋蔵座敷です。

蔵座敷は瓦葺の寄棟(よせむね)で土蔵造りの2階建て。

外壁は漆喰壁の上から下見板(したみいた)が貼られ、入り口上部の三角形の破風には木彫りのレリーフが装飾されています。
内部は1階は和室、2階は洋間という造りになっています。洋間には、アールヌーボー建築様式のアーチ状の入り口や、繊細な唐草模様、上げ下げ式のガラス窓など和と洋を融合したデザインが特徴的です。
現在、建物は中町通りの「はかり資料館」敷地内に移築され、公開保存されています。

文明開花の音がする1
文明開花の音がする2

04文明開花の音がする

文明開化によって西洋から新しい技術や文化などが導入され、建築様式にも新しい風が生まれていきました。
新旧の文化が入り交じった明治時代の空気や新しい時代への好奇心がいっぱい詰まった擬洋風建築。
貴重な歴史的文化遺産にいま私たちが触れ合えるのは立石清重という名工のおかげです。
私たちの暮らしは過去の暮らしの延長線上にあり、さらに未来のより良い暮らしのために歴史を顧みること、それを守り伝えていくことがとても大切です。
より良い暮らしのために建築を通して当時の景色に思いを馳せ、心を踊らせたまちあるきでした。

風景には物語がある

町の歴史に遺る名工の心意気

休日のまち歩き。特別な目的はなく、のんびりと散策するだけでも楽しいものですが、せっかくなので何かテーマを決めて歩いてみると、それまで気づかなかったまちの魅力が見えてきたりして、よりいっそう楽しくなるものです。
神社や寺をハシゴして巡ってみるもよし、TV番組よろしく地形や地質をテーマにブラブラ歩くもよし。あるいは建築探訪というのもいいかもしれません。

まちなかの建築探訪。わたしたちサンプロまちあるき部でも、そのツアーのなかで建物を見て回ることはよくあるのですが、当然ながら建物にもそれぞれ個性があり、また建てられた時代ごとの特徴というものもまた、感じとることが出来ます。
例えば城下町松本。江戸時代に発展したこの街は、しかしながら近世から遺る建物は松本城を除けば例は少なく、むしろ明治時代以降の近代建築のほうが、比較的目につく存在であったりします。
明治の建物の代表格といえば、令和元年(2019)に近代の学校建築として初の国宝指定を受けた、旧開智学校校舎。明治9年(1876)、市街中心部の女鳥羽川沿いに建てられ、その後現在の松本城北側へ移築されましたが、この建築に携わったのが、当地で活躍した立石清重という大工棟梁でした。
松本藩の仕事も請け負う、地元では名の知れた大工だった立石は、開智学校建築の要請を受け、当時すでに東京などで際立ち始めていた西洋風の建築物を見て回り、設計の参考としました。いわゆる「擬洋風建築」と呼ばれる様式です。
「洋風とも和風ともつかない摩訶不思議な西洋館こそ、草深い各地の大工棟梁が、日本に上陸したコロニアル建築との出会いの体験を無手勝流で表現したものにほかならない。このユニークな形式のことを現在では“擬洋風”と呼ぶ」(藤森照信『日本の近代建築 上』)
同著のなかで藤森氏は、擬洋風とは洋風を擬えた建物という意味であると解説していますが、純粋な日本の建築様式しか知らなかった地方の大工である立石清重が、見よう見まねで洋の建築様式を学び、自己流に解釈し、実践する。激動の時代のなか、古い様式に固執せず、進取の気風を見事に表現した結果としての開智学校校舎は、それ自体が西洋に後れを取るまいと必死だった明治という時代を写す鏡のような存在、言い換えれば明治初年を今に伝える、まちの記憶装置といえるでしょう。
立石は今回のツアーで訪れた旧三松屋蔵座敷をはじめ、市内外の各地の公共建築や町家、土蔵など多数の建築に携わっており、そのうちの幾つかは現代に生きる私たちも直接触れ合える機会を持つことができます。

私たちはこれら立石清重の建物に限らず、まちの記憶装置として遺された建築遺産のそこかしこから、その時代を生きた人々の息遣いを感じ取り、学び取ったまちの歴史を活かし、地域の未来に繋げて行かなくてはいけないと思います。
そして建築遺産はただ保存し鑑賞するだけでなく、しっかり生かし活用してなんぼ。大切に活用することで、古い記憶を未来へ継承することにも繋げて行ければと思います。

文・高松 伸幸

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